Sunday, November 3, 2013

エックサメン

今日は久しぶりにアテネオ大学、私の母校、に行きました。

懐かしいところがあふれたが、それより帰ってきた気持ちが強く感じました。

心が静かに、さわやかに、穏やかに。

今日はそこらにイヴェントが開かれました。

アテネオ大学のヘッド、ジェット・ビリャリン神父が黙想会を主宰しました。

その話題は良心の検討、EXAMEN、でした。

ジェット神父は自分の経験から話していただき、いろいろと考えさせられました。

まずひとつ、上に立つのがつらいところがあり、特に天辺に立つ人です。

間違っているところを明らかにするのもその一部です。

それを聞いたときに、私は一人じゃなかったと思いました。

嫌われたくないのに、責任はあります、感じています。抜けられない真実です。

それに答えなければなりません。一人ではありません。

二つ目は、お許しは自分向けにもあります。

EXAMENのときにお許しがあります。

普通のカトリック教の考えでは、神様にお許しを求めます。

でも教は自分もお許しを与えなければなりませんと教えていただきました。

自分を責めるだけでは負担が重くなるだけです。

でしたら自分も自分からお許しを求めています。

三つ目はTHIS IS WATERの動画から自分のことを知ることと環境を気づくことを憶えました。

それは自覚することにはパターンが見やすくなります。

ConscienceはConsciousnessとは違います。

Self-awareはSelf-absorbとは違います。

自分のことを自ら本当に、本当に知ってしまいます。


(This is Water by David Foster Wallace from Youtube.com. No copyright infringement intended)

いかにもこの3つは私に響いたところでした。

EXAMENにはいろいろと段階ありますから、ほかの人は別の回想、感想があったと思います。

何にもEXAMENが使えます。

これからEXAMENがよく使いたいと思います。

自分を、私に存在している神を、みんなに存在している神を知りたいです。














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